十割蕎麦について

「蕎麦粉」、「つなぎ」、「水」を用いて作られる
つなぎ(
結着剤)は一般的には小麦粉が用いられ、小麦粉に対する蕎麦粉の配合割合によって名称が変わる。
他につなぎとして使用されるものは
鶏卵(卵切り蕎麦と称する)、長芋山芋布海苔へぎそばと称する)
こんにゃくオヤマボクチなどがあり、それらを加えることで独特の食感やコシが発生する。

また、風味付けに加えられる素材によって、胡麻切り蕎麦(黒ゴマを使用)、海苔切り蕎麦(海苔を使用)、茶蕎麦(抹茶を使用)などの種類がある。店によってはモロヘイヤ山椒タケノコふきのとうアシタバ大葉柚子若布などの季節の植物を練り込んで出すところもある。

蕎麦は、人力による手打ち、製麺機による製造にかかわらず、通常次の工程により作られる。

  1. 「水回し」ないし「ミキシング」 – 蕎麦粉とつなぎを混ぜ、加水しながら撹拌し丸い蕎麦玉にする。手打ちの場合は「こね鉢」と呼ばれる木製のを用いる。
  2. 「木鉢(きばち)」ないし「プレス」 – 蕎麦玉を繰り返し押しつぶすことで練り、粘着性を高める。
  3. 「延し」ないし「ロール」 – 生地が張りつかないよう打ち粉した上で、薄く圧延し、平たい長方形型にする。手打ちの場合は木製の麺台に載せ、「麺棒」と呼ばれる木の棒を用いて圧延する。
  4. 「切り」ないし「カット」 – 圧延した生地を幅1 – 2mm程度の線状に切断しての形とする。手打ちの場合はまな板に載せ、何層かに折り畳んだ後、「小間板」(駒板)と呼ばれる定規を当てながら蕎麦切り包丁で切断する。

通常、蕎麦はたっぷりの大きな鍋で湯がかれる。
蕎麦を茹でた湯はごく薄い粥のようになる。これを蕎麦湯(そばゆ)という

十割蕎麦食し方

もり蕎麦・ざる蕎麦
茹でた後にぬめりを取るために冷やしながらそばを洗い、木製か竹製の四角形の器の底にすのこを敷いた蒸篭(せいろ)や(ざる)に盛り付ける。「蕎麦猪口」と呼ばれる別の小型の器につゆを入れ、箸で一口分を取ってつゆにつけながら食べる。かけ蕎麦より古い食べ方である。
つゆの薬味として、摺り下ろしたわさびと刻んだネギが最も用いられる。いずれも、つゆとは別にされ、好みに応じた量がとれるようになっている。わさびはつゆに溶いたり、風味を損なわないように蕎麦に乗せたりする。
かけ蕎麦
かけそばは、冷水や氷水で〆てぬめりをとり、熱湯で温め直してから丼に入った熱いつゆの中に入れて食べる。
薬味として、小口切りにした長ネギ七味唐辛子がよく用いられる。細かく刻んだ柑橘類の皮や山椒の果皮を入れると、風味が立つ。
ぶっかけ蕎麦
茹でた後にぬめりを取るために冷やしながらそばを洗い器に入れ、食べる際に別の器に入ったつゆをかけて麺を浸した状態で食べる。器は丼型か、より広口の器が用いられ、深皿のような浅い器も用いられる。また、出水そばや出雲そばのように小型の皿に分けられていることもある。
主となる具を、蕎麦の上に綺麗に盛り付ける。盛り付け方は冷やし中華に近い。

もり蕎麦・ざる蕎麦とぶっかけ蕎麦は冷たいつゆを用い、かけ蕎麦は温かいつゆを用いる。冷たいつゆは辛汁(からじる)、温かいつゆは甘汁(あまじる)と呼ぶ。それぞれ「冷たい蕎麦」「温かい蕎麦」に用いられるが、ただし温かいつゆのつけ蕎麦や冷たいつゆのかけ蕎麦もあって、これらの言葉は一義的ではない。高遠そばではみそ味のそばつゆを「からつゆ」、醤油味のそばつゆを「あまつゆ」と呼ぶ

新蕎麦の時期に見られる珍しい食べ方として、蕎麦の香り・歯触り・喉越しを楽しむためとして、つゆをつけずに、をつける方法がある。それも蕎麦が味だけでなく香りを重要視するためである。そうした香りを存分に味わうには、空気を一緒に啜り込み鼻孔から抜くようにして食べることによって存分に賞味できるとされるが息を沢山吸って香りを楽しむといっても小学校で習う食塩水の計算で解るように息を沢山吸えば香り風味は薄まる。また、例えば「噛まずに一気に飲み込むのが通」という俗説は生粉打ちに近い蕎麦のコシと噛む事で広がる香りが楽しめなくなるため逆効果である[そもそもマナーや作法を揶揄する庶民文化である「通」をぶって作法の講釈をすることは逆に野暮とされる。もともと作法にこだわらずに香りや喉越しを楽しめるものであり、音を立てることがマナー上広く許されている点で、うどんや中華麺などと並んで世界的に稀有な料理である。

蕎麦好きな人の中には、蕎麦とは香りと歯触りを賞味すべきものであるとして、「蕎麦はもり(そば)に限る」というこだわりを持つ人もいる。

十割蕎麦栄養素

蕎麦は、ビタミンB1を豊富に含み、脚気などのビタミンB1欠乏症の予防に効果がある。江戸中期から白米による江戸わずらい(脚気)が流行し出し、その頃から江戸で蕎麦が流行した。蕎麦粉(全層粉)の段階におけるタンパク質含有量は、ダイズに比較すればそれほど多くはないものの、その蛋白質は1985年のFAO/WHO/UNU必須アミノ酸基準値でアミノ酸スコアが100点となっており、穀物としてバランスのよいアミノ酸組成を有している。ただし、蕎麦粉に小麦粉を混ぜて麺を作ると、リシンが乏しい小麦粉のアミノ酸組成の影響を受けてリシンを第一制限アミノ酸として蕎麦麺のアミノ酸スコアは低下することになる。

蕎麦(蕎麦粉)に含まれる特徴的な機能性成分としてルチンがあげられる。蕎麦に含まれるルチンは、毛細血管強化、高血圧予防、酸化防止などの生理活性を有する。

自ら蕎麦を打ち、蕎麦を食べる機会の多い蕎麦センター職員の血圧は、蕎麦を常食とするネパールの山岳部族と同様に低かった。この蕎麦の効用は、その中に含まれる多量のカリウムが体内よりナトリウムを排泄させることによる

蕎麦の窒素1gあたりの必須アミノ酸比較
アミノ酸穀類/そば/そば粉/全層粉[18]穀類/そば/そば/生[19]穀類/そば/干しそば/乾[20]1985年基準値 (mg)(参考)1973年基準値 (mg)
イソロイシン230210210180250
ロイシン410410410410440
リジン370190180360340
含硫アミノ酸(メチオニン+システイン280220220160220
芳香族アミノ酸(フェニルアラニン+チロシン440460470390380
トレオニン240180180210250
トリプトファン10078767060
バリン320260260220310
ヒスチジン170140140120

十割蕎麦歴史

ソバの日本への伝来は奈良時代以前であることは確実である。『類聚三代格』には養老7年8月28日723年10月1日)と承和6年7月21日839年9月2日)付けのソバ栽培の奨励を命じた2通の太政官符を掲載しているが、当時「曾波牟岐(蕎麦/そばむぎ)」(『本草和名』・『和名類聚抄』)あるいは「久呂無木(くろむぎ)」(『和名類聚抄』)と呼ばれていたソバが積極的に栽培されたとする記録は見られない(なお、『和名類聚抄』では、蕎麦(そばむぎ)をの1種として紹介している)。さらに鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には、平安時代中期の僧・歌人である道命藤原道長の甥)が、山の住人より蕎麦料理を振舞われて、「食膳にも据えかねる料理が出された」として、素直な驚きを示す和歌を詠んだという逸話を記している。これは都の上流階層である貴族や僧侶からは蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったことの反映とも言える。この時代の蕎麦はあくまで農民が飢饉などに備えてわずかに栽培する程度の雑穀だったと考えられている。なお、蕎麦の2字で「そば」と読むようになった初出は南北朝時代に書かれた『拾芥抄』であり、蕎麦との肉との合食禁食い合わせを禁ずる例)を解説している。

古くは粒のまま粥にし、あるいは蕎麦粉を蕎麦掻き(そばがき、蕎麦練り とも言う)や、蕎麦焼き(蕎麦粉を水で溶いて焼いたもの。麩の焼きの小麦粉を蕎麦に置き換えたもの)などとして食した。蕎麦粉を麺の形態に加工する調理法は、16世紀末あるいは17世紀初頭に生まれたといわれる。蕎麦掻きと区別するため蕎麦切り(そばきり)と呼ばれた。現在は、省略して単に蕎麦と呼ぶことが多いが、「蕎麦切り」の呼称が残る地域も存在する。

この蕎麦切りの存在が確認できる最も古い文献は、長野県木曽郡大桑村須原にある定勝寺の寄進記録である。同寺での1574年天正2年)初めの建物修復工事完成に際しての寄進物一覧の中に「振舞ソハキリ 金永」というくだりが確認でき、少なくともこの時点で蕎麦切りが存在していたことが判明している。

他に蕎麦切り発祥地として中山道本山宿(現在の長野県塩尻市宗賀本山地区)という説、甲斐国天目山栖雲寺(現在の山梨県甲州市大和町)説(天野信景著『塩尻』)もあるが、定勝寺文書の傍証に鑑みるに、確実な発祥地とは言い難い。

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